2015年9月29日 星期二

海外メディア「日本のゲーム業界はプレイステーションがトップに立たなければ生きていけない」

http://blog.esuteru.com/archives/8347435.html

海外メディア「日本のゲーム業界はプレイステーションがトップに立たなければ生きていけない」




PlayStationの支配はゲーム業界にとって最良。その理由とは(1)
http://ameblo.jp/seek202/entry-12076917701.html
名称未設定 8


記事によると
先週は東京ゲームショウを見てきたが、そこでは日本ゲーム業界がトランペットとともに復活するのを目にすることになった。日本のゲーム業界は衰退の中で十年の時を過ごしてきた。はじめは携帯機へと移行し、そしてその後にモバイル・ゲーミングへと移ったのだ。私の心に浮かんだのは、日本のゲーム業界の本気とは、これほどまでに素晴らしいショウなのかということだった。

パブリッシャやデベロッパが思い思いの大きさのブースを出展し、彼らの作品をもって進み出ていた。まるで彼らは日本のコンソール業界を蘇らせんとするかのようであり、アクションあり、アドベンチャーあり、音ゲーあり、そしてもちろんこれまでずっと日本人が愛してきたJPRGがあり、ショウは実に絢爛豪華だった。日本の大手パブリッシャ、例えばスクエニ、カプコンは彼らの看板タイトルを前面に押し出し、アトラスやコエテクのような中堅パブリッッシャは力瘤を見せつけ、大手にのし上がるという野望を隠さなかった。日本のインディタイトルでさえも存在を見せ付けた。

私みとってこの上なく興味深かったことは、彼らすべてがその周りに結集したハードだった。日本市場は伝統的に、常にハードを1つだけ選び(ほぼ常に一番売れているハードだ)、選んだハードの周りに結集する。最初はファミコン、そしてスーファミ、PS、PS2だ。そこから事態は不透明になった。前世代が始まり、PS3が破滅的なスタートを切り、もがき苦しんだのだ。さらに重要なことには、PS3のアーキテクチャはエキセントリックなもので、開発するのに時間と人的リソースを大量に消費した。日本のマーケットは突然に行き場を失ったのだ。暫くの間、日本のパブリッシャやデベロッパは、Tales of Vesperia、Lost Odyssey、Dead Rising等の独占作を手にXbox 360の元に集結した。しかしそれはうまくいかなかった。Xboxはそうしたゲームが成功するだけのインストールベースを持つことができなかったからだ。

日本のパブリッシャやデベロッパは、記録破りのセールスで市場をリードしていたWiiを試してみた。だがこのハードはそれ自体問題を抱えていた。技術の点で制限されており、入力と制御オプションの面にも制約があり、開発者に負担を強いたのだ。そしてWiiが求愛していた市場とは、ハイエンドなコンソールゲームにはおよそ無関心な類のものだった。

絶望の中で日本市場は携帯機へと移行していった。最初はDSで、それからはPSPだった。携帯機が繁栄し生きのびているさなかに、ローエンドなゲームへと向かうトレンドが密かに始まっていた。そうしたものすべてが積み重さなり、2010年頃にはモバイルゲームへの集中へとほぼ完全なシフトへとつながったのだ。



こうしたこと全ての原因は、市場をリードする強いPSコンソールが不在だったことだった。

日本のパブリッシャやデベロッパが先を争ってその周りに集い、あたかも日本にハイエンドなゲーミングを蘇らせようとしているように見えるのこと、それこそが観察する上で興味深い点だ。そのハードこそがPS4なのだ。PS4は日本のゲーム産業がともに歩むハードであり、私はそこに興味を覚える。なぜならこれまでと異なるのは、日本のパブリッシャやデベロッパが一番売れているハードを選んだのではないことだ。実際、日本のPS4は情けない以外の何物でもない。日本では3DSが一番売れているハードであり、PS4に遥かに水をあけている。VitaもPS4よりも相当多く普及しており、あのWii UでさえPS4に勝っている。

だが日本のゲーム・クリエイタたちは一様に同じ結論に達したように見える。それは私がずっと思ってきたことだが、もしも日本のゲーム・クリエイタたちが生き延びたいのであれば、PSコンソールがトップに立っていなくてはならないのだ。


以下略



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